小岩高校制服

先輩に聞く! ~小岩高校の制服変遷を振り返る(前編)

このページの内容は、同窓会会報誌「白鷺」第52号(2018/06発行)の特集記事をWeb版として再構成したものです。
誌面では紙幅の関係上お伝えできなかった部分も、追補しています。

※「制服」と「標準服」の違いについて、基本的に同じもの(学生服やセーラー服等)を指していますが、常時着用の義務がある場合を制服、そうでない場合を標準服と表現しています。

この続きの「後編」では、小岩高校が制服自由・標準服から再び制服への戻る変遷についてお伝えする予定です。


小岩高校は開校当初から数年間は制服があったものの、昭和45年(1970年)から制服が自由化され、私服可の学校としてずいぶんと長い時間が経過していました。そして平成18年度(44期生入学時)から新たな標準服が定められ、その後平成23年度(49期生入学時)からそれが制服として着用が義務となり、現在に至っています。

「小岩高校五十年略校史」には次のような記載があります。

小岩高校は昭和四十五年に制服を自由化した。これは当時、学園紛争のあった都立高校が、生徒の要求を容れて制服廃止に踏み切ったことがあった中で、本校は紛争はなかったものの、そのあおりを受けて制服のあり方の見直しを迫る生徒の意見を聞き入れてのことであった。従来の制服は標準服として存続され、制帽の着用はなくなっていったが、標準服は八、九割の生徒が着用してきた。

このように制服自由化・私服可の実現には70年代当時の時代背景等が大きく影響していたようです。そこで今回は制服自由化のための活動を生徒会などで展開していた当事者だった方々にお集まりいただいて、その頃の様子を振り返っていただきました。

<参加者>
6期:粕谷昭彦さん、内山亨さん
7期:山﨑彰さん
8期:加藤善典さん、金原正弘さん
12期:島田幸雄(同窓会副会長)

座談会参加者

制服自由化までの道のり

- まず制服自由化の時期の再確認からですが、何期生のときにどんな形でこの運動が始まって、実際にはいつ実現できたのかを教えてください。

粕谷(6期生)
各クラスから2名ずつ選出されたメンバーで構成される「評議会」で既に制服自由化の話題は出ていました。
自分が2年生のときに、靴と制帽が自由化され、3年生のとき、制服も自由化されたけど、卒業アルバムの写真は制服(標準服)で撮ったなあ。(注:1971年)
当時、女子の制服は評判が良かった。
制服自由化の動きは、既に5期生の時期にはあって、5期生の卒業後にそれを6期生以降で引き継いで実現した形です。

山崎(7期生)
自分の場合は、入学したときは制服、2年生のときも制服(標準服)を着ていて、3年生のときには私服でした。
自分が評議員に立候補する際に、「制帽自由化、制服自由化」を公約として言ったけど、先輩から「立候補して、言え」って言われてのことでした。(笑)

加藤(8期生)
自分のときは自由化の実現後、活動の締めくくりとして、近隣の高校が話を聞きに来るなど、説明する機会もあったので、比較的よく覚えています。
1年生のときだったけど、全校集会(生徒総会)に向けて、「高校生らしさとは?」とか、「制服とは?」とかをテーマにほぼ毎日のようにクラス討議を繰り返していました。

山崎
全校集会に向けての討議は、クラスだけでなく、部活でもやってたね。

粕谷
自由化よりさらに踏み込んで、「制服廃止」の声がある一方で、女子はミニスカートが流行っている時期でもあったので、派手になって風紀が乱れるとか、私服だと金が掛かる、高校生らしくないなどという意見もありました。
女性がキーだったね。

加藤
何回も生徒総会が流会して、いよいよ生徒総会での「制服自由化」の決定が職員会議に掛けられるというとき、生徒総会と同時並行で職員会議が行われて、その後当時の木村校長が生徒総会の会場に来たんです。そして、職員会議で「制服自由化」が決まったことを発表したとき、会場では一斉に「ワーッ」っと歓声が挙がったことを覚えています。季節は秋だったと記憶しています。(注:1970年9月試行期間経て11月19日より実施)
「制服廃止」ではなく「制服自由化」。これが「制服廃止」だったらたぶん実現できてなかったと思います。

粕谷
男子クラスや女子クラスよりも、男女混合クラスの方が女子の私服率は高かった。それと土曜日の私服率は高かった。(笑)

金原(8期生)
学校帰りに寄り道しやすいのが嬉しかった(笑)

背景には小岩高校の自由な校風の伝統が

加藤
1年生で入学したときに3年生は大きく見えました。活発に動いてました。
若い学校だったから、先生も生徒もいろいろと作り上げていく過程でした。「何とかしていかなければ」という雰囲気だったと思います。
学校はその様な動きを抑えようとしなかったです。

山崎
実は、7期生は正式な卒業式をやってないんです。「自主卒業式にしよう」とクラス代表が検討を行う一方で、「卒業式粉砕」という人たちもいて、まとまらないまま当日を迎えて、卒業式はなし。(注:教室で卒業証書配布、1972年)
鈴木よし子先生は「ちゃんとやりましょう」と言ってましたけどね。

内山(6期生)
7期生の中では、「卒業式やりたかった」という意見が今でもあるらしいよ。

粕谷
校則はあったけど、それも「評議会」で生徒たちが自分たちで決めていました。自由という考え方が出しやすい時期でした。管理されていなかった。新しい学校だから先生も自由にさせてくれたし、生徒は自分たちで決めて自分たちでやるしかなかった。けどこのことは自分の場合、その後の人生でとても役に立っています。

加藤
文化祭の日程を決めたり、そのために学校から準備の時間をもらうのも自分たちで決めてやっていました。

山崎
今も続いている「合唱祭」を始めたのは、自分たちの代からです。生徒の発案で先生に相談に行って、「合唱でもやれば」て感じです。
自主的な講演会や映画会も企画して、交渉事なども全て自分たちでやりました。チケットを作って売って。
「いつも何かやってたね」「応援してたからね」なんて、今でも同期の女子などに言われています。

金原
同期会で先生が言ってたけど、当時は「言っても聞かない」「自由をはき違えている雰囲気だった」って。(笑)

山崎
(職員室の)掲示板を日直が見に行って、それをクラスで伝達しないといけない。
先生がホームルームで伝えることはなかったですから。

加藤
小岩高校の自由な校風が今でもエネルギーや智恵になっていれば、それは嬉しいことですね。



- 平成23年度から小岩高校は再び制服に戻るのですが、そのことについてはどう思いますか?

粕谷
それこそ、自分たちで決めたのなら「自由」で良いと思いますよ。(笑)



- 本日はどうもありがとうございました。

先輩諸氏には事前にお友達ともお話をされての参加で感謝申し上げます。制服自由化への評議会・生徒総会はじめ、校則・文化祭・体育祭・修学旅行・合唱祭・卒業式・講演会・映画(祭)等企画や実行の臨場感あるお話とパワー漲る行動「自分たちでやる」は、小岩高校伝統の「自由な校風」の礎となりました。「自由」とは改めて「責任ある行動」とも感じました。 同窓会副会長12期:島田幸雄

○ まとめ ~~~~
小岩高校の制服自由化は当時の生徒たちが全体で懸命に検討を繰り返し、その結果として実現したものでした。自由というよりも自治。生徒自らが決め、行動し、先生たちはこれを尊重し支持する、このようなかつての思想や行動がこれまでの小岩高校の「自由な校風」の礎となっていることを改めて感じる座談会でした。

 ~次回「後編・制服復活編」へつづく

聞き手&記録:小岩高校同窓会アドバイザー 秀島


資料編

 昭和38年(1963年)1期生472名 校舎屋上での入学式4月10日 制服は男子黒の詰襟、校章入りの黒釦、袖口にブルード(絹・木綿・麻・羊毛などで織られた紐で縁飾り・刺繍 (ししゅう) などに用いる)を付けたもの。校章の付く帽子着用。女子はテーラースーツにベストの組み合わせ、スカートは前後3本の箱ヒダ、角襟前開きの短めのベスト。夏服は男女とも上着を脱いで白のワイシャツとなる。
 昭和42年度(1967年)入試より学校群制度導入、江戸川高校と組んで64群となり9教科から3教科入試。
 昭和40年代は「学園紛争」の時代。生徒会や体育祭などの在り方が問われる中で「制服の自由化」が取沙汰されるように創立7年目の1970年昭和44年4月に「茶色の鞄」使用要望が許可され、12月には生徒総会で「制服他の在り方」の意見が出され、生徒会・風紀委員会で議論を重ね、昭和45年(1971年)2月「制服廃止のアンケート実施。学校側制帽の廃止認める。5月には委員会を設け、9/21より1ケ月の試行期間を経て11月19日から実施。
 服装は個人の自由。校服として従来の制服型のもの(標準服)をおくが購入・着用は個人の自由とした。上履きは学年の色分けの紐が付いた運動靴。これにより制服の自由化となったが生徒の7-8割は標準服を着用した。「学園紛争」のなかったわが母校だが他の都立高校では「学園闘争」での生徒の要求を聞き入れての制服の自由化となった高校がある。
 私は先輩から屋上への階段の上にある、あの傷は「制服自由化」への(学園紛争)証しだと聞いた記憶がありますが、あれは何だったのでしょうか。
 1974年昭和49年12期生入学生405名9クラス 標準服 バイク通学禁止 校庭芝生化工事

( 資料 12期 島田幸雄 )